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2020/12/27 15:20

-カメラマンになるまで-


高校生の時、親戚のお兄さんから一台の一眼レフカメラをもらった。

それが私のカメラ好きの始まり。


大学卒業後、企業に就職して初ボーナスでカメラを買う。自分で買ったマイカメラ、それはそれは嬉しくて、カメラ教室に通い、休暇をとっては海外旅行に出かけ写真を撮った。


それから3年後、LAに一年間留学をする。もちろんそこでもPhotographyコースをとり、撮影だけでなく暗室でのプリントなども学ぶ。


帰国後はカメラを趣味としながら、アンティークと雑貨のショップで買い付けの仕事に就く。約1カ月の長期間、大金を持って一人でアメリカ、ヨーロッパ各国を周る事は、若い女の子には危険もあったけれど、再び大好きな海外へ行ける日々に充実を感じていた。


そんな中、バブルが崩壊。そのショップが閉店する事となり、当時の社長さんからどこか次を一緒に探してあげると言われた。


26歳の私。これがラストチャンスと思ったのか、口に出た言葉はカメラスタジオで働いてみたい。こうしてカメラアシスタントとしての日々がスタートする。決してアシスタントとしては若くなかったけれど、一般企業で働き、留学もして、大好きな海外へも仕事にプライベートにと行けた私には、安いお給料(月に5,000円の時もあった気がする)も辛い仕事もどれも楽しくて仕方なかった。こんな扱いをされるのか・・と当時のカメラ業界あるあるも、一番長く使ってくれた先生がNY帰りの方だった事もあり、一人の人間としてきちんと扱ってくれ、あるあるはさほど長く味わう事もなく過ごせた。


そんな中、少しずつ私にも仕事の話しが入りだし、ある日先生に暗室を貸して欲しいと伝えると、それまでどんな高価な機材でも快く使わせてくれていた先生が、勉強の為ならいくらでも貸すけれど、1円でも仕事としてお金をもらうならば、自分の機材でやれ!と言われ、泣く泣くお金を集めて機材を揃えた。


アシスタントは3年以上するな。それ以上するとそこで便利な人になるだけ。責任を持って自分でする経験は長いアシスタントでは得られない。と以前誰かに言われた言葉が頭にあった私には、これがアシスタント卒業の時なのかもしれないと思い、LAUTと屋号を付け、フリーカメラマンとして仕事をする事を決めた。29歳の終わりの頃だった。


今となっては、その言葉を言ってくれた人と(覚えてないけど・・)、機材を貸してくれなかった先生に感謝しかない。


遅めのアシスタントデビューだった私がまさかこんなに長くカメラマンとして仕事をしているなんて想像もしていなかった。でも思うのは、スタートはいつでも大丈夫という事。そしてそれまでの経験は寄り道でも周り道でもなく、そこに向かう為のプロセスであるという事。


だから私が今からカメラバッグのプロデュースをするという事も、きっと今がタイミングなのだと思う。ずっとずっと胸の奥にある思いはいつか必ず形にしてあげたい。もちろんそれは自分の為。でもそれが誰かの為にもなるなら、こんな幸せな事はない。だからどれもいつも一生懸命楽しみながら進めるのだと思う。